千利休の「わび」とは何?

「わび茶」における重要点

 

利休の茶の湯「わび茶」における重要点は、唐物などの名物を尊ぶ既成の価値観を否定したところにあります。やや禁欲主義的でもあります。

 

 

しかし、代わりに創作されたのが「楽茶碗」、「万代屋釜」などの利休道具です。装飾性の否定が造形的な特徴であり、名物を含めた唐物などは効果でしたが、利休道具は決して高価なものではなかったのです。

 

 

利休は茶室の普請についても変革を行っています。それが草庵茶室の創出です。以前では4畳半が最小とされていた茶室ですが、庶民の間でしか行われていなかった3畳、2畳の茶室を採り入れたのです。躙り口(潜り)、下地窓、土壁、五尺床、四尺床など工夫しています。

 

 

特筆されるのは「窓」です。師である紹鷗まで茶室の採光は縁側の2枚引、4枚引きの障子からの「一方光線」でしたが、利休は茶室を土壁で囲い、そこに必要に応じて窓を開けるという手法にしたのです。いわゆる「囲い」の誕生です。これによって、茶室内の光を自在に操れるようになったのです。必要な場所を照らし、暗くしたい場所は暗いままにするわけです。

 

 

「露地・ろじ」も利休の業績です。これは茶庭とも言って、茶室に付随する庭園の通称です。当時の茶道は仏教を用いた理論化を目指していたようで、以後は禅宗を強調する茶人達によって流布され、現在でも茶庭の雅称として定着しています。

 

 

紹鴎の時代ではまだ煩雑だった茶会形式を簡略化し、侘び道具を製作、演出して、多くの支持者や後継者に恵まれたのが、利休を侘び茶の完成者と言わしめる理由でしょう。