わび茶の成立
喫茶の文化は15世紀後半から16世紀後半、新しい展開を見せます。それまでは豪華な唐物道具で飾り立て、賑やかな宴会をして楽しむような茶の湯であったのに対して、対照的な簡素な日本の工芸品を使い、連歌などで表現されていた「日本的な不足の美」を求めるような茶の湯が登場したのです。
言ってみればこれが「わび茶」の始まりで、ここから「茶道」というものが成立していったということになるでしょう。この「わび茶」を形成するにあたって貢献した人物は、村田珠光、武野紹鴎、そして千利休です。
わび茶の出発点となるのは、珠光の「心の文」といわれる一文からとされています。この珠光の茶の湯をより深めていったのが紹鴎です。紹鴎は、この時代、既に国際的商業都市として繁栄していた堺の有力町衆でした。若い頃は連歌師を目指して三条西実隆から歌学を学び、「冷え枯れる」などの連歌の美意識を茶の湯に採り入れたとされます。
そして利休です。利休も堺の町衆でした。紹鴎から茶の湯を学びました。利休が目指していたのは、「遊びの要素」を極力取り除き、人と人の心の交流を中心とするもっと緊張感のある茶の湯です。更に利休は、自らの優れた審美眼によって、長次郎の茶碗など、わびの美にふさわしい数々の道具を創造しました。こうしてわび茶は成立していったのです。